|
長崎の事件で、被害者と加害者の情報が、次々とメディアに溢れ出てくる。
少年犯罪のニュースを目にする度に、自分の子どもが加害者になったら、あるいは被害者になったらと想像し、そうならないように、今オヤジとしてできることを一生懸命に考えるのだが、今回はいつもと違った。
グリス切れで柔軟性に乏しい僕の想像力では、とてもじゃないけど理解できない。
誰かを殺したいほどに、体が震えるほど怒るという状況は経験があるし、言葉でのコミュニケーションが感情に追いつかずに、暴力を振るったこと、あるいは振るわれたこともある。
けれど、瞬間的に殺意が理性を超えてしまうような衝動殺人ではない、今回のようなケースを、小学生が引き起こしたという事実が理解できない。
で、理解できない僕の、次なる行動は、加害者の家庭環境と我が家の相違点を捜すことだ。
「あぁ、こんな家庭に育ったんじゃ仕方がない」と思い込みたいのだ。
「我が家とは全く違う」=「我が子がこのような事件を起こす可能性は無い」
早く、そんな風に安心したいのだ。
けれど、「それは各家庭の個性の範疇だろう」というような事象以外、決定的な起爆要因が見つからない。
ネットを介した匿名メディアでのコミュニケーションの中で、殺意を募らせていったなどというのは、大きな勘違いだ。
チャットルームやBBSなんてツールは、サービスを享受するために特別な知識なんて必要ない。
バーチャルだのデジタルだのという単語に事実を紛れ込ませても、なんら根本解決にはつながらない。
徳川の将軍15人をそらで言える小学生は賞賛しても、デジタルツールを使いこなす小学生には眉をひそめるのが、世の中のマジョリティの反応だろうけれど。
同様に加害者の少女が『バトルロワイヤル』という、大人向けのエンターテインメント作品を気に入っていたりするのも、表向き事件を分かり易くするためには扱いやすいネタではあるが、それも大きな間違い。
『バトルロワイヤル』が好きな小学生なんて、きっと日本全国にいくらでもいる。
これが『源氏物語』だと、世間の反応も違っているはず。
『源氏物語』が好きで耽美文学に傾倒する小学生が現れても、相手が紫式部じゃバッシングのしようがないもんな。
もとい、米軍が400人の民間人を虐殺しているリアルと、『バトルロワイヤル』を比較して、どちらが小学生の心に影を落とすかなんて、どうやったら数値化できるっていうんだ。
いきなり自転車で倅に突っ込んでくる子。
砂場でオモチャを取り上げたり、他の子どもを突き飛ばしたりする子。
ママの前では「赤ちゃん大好き」なんて言いながら、よその子どもをこっそりつねっている子。
共通しているのは、母親は気が付いていないってトコ。
ネグレクトと虐待は、同じように子どもたちを傷つける。
こどもたちをじっくり見ていれば分かる。
保護者からのストロークを受けていない子どもは、いつもどこか虚ろだ。
オレは倅をしっかりと見つめているか。
倅の笑顔の裏側に、目を背けたくなるような闇はないか。
あるいはオレの屁理屈が倅を追いつめてやしないか。
なにが正しい。
なにが正解。
これはもの凄く自己中心的な発想。
僕の倅と、その友達が過ごしやすい世の中であって欲しいと思う。
環境問題、年金問題、戦争、犯罪・・・。
できる限り解決して、バトンタッチしてやりたいと思う。
倅が社会にでたときに、一緒に世の中を構成していく子どもたちは、少なくとも、いや、できることなら、たっぷりと愛された子どもたちであって欲しい。
病気だったり貧乏だったり貧弱だったり頭が悪かったりしても、少なくとも、「それでもオレはお前が大好きだ」って言ってくれる、言い続けてくれる存在を感じながら育てば、最低限、人を殺したりはしないんじゃないか。
もしも今回の事件の加害者が、僕の子どもだったとしたら。
それでも彼を愛し続ける以外に、親としてしてやれる事なんてない。
|