老人介護施設で働いて思うこと

老人介護

老人介護施設、いわゆるデイサービスで働き始めた。
とは言っても正社員でがっちり勤めるということではなくて、夜間の見守りスタッフとしてのパートタイマー。
何しろ不安定極まりないフリーランスのデザイナーで、しかも過疎化が進む田舎暮らしなものだから、少しでも安定した収入源を確保したいと思ったわけです。家賃とか光熱費あたりがカバーできて、本業のための時間に影響がない副業を考えていたところ、転職サイトで目に留まったのがデイサービスの夜勤だった。
介護施設の実態を知りたいとか、福祉の現場に飛び込んでみようとか、そういう高尚な気持ちはさらさら無くて、僕の求める条件に合っていたというだけの志望動機。

あまりに久しぶりで何を書いたらよいのか戸惑いながらしたためた履歴書を持って面接に臨んだわけだけれど、これが呆気なく採用ということで、翌週には研修がスタート。先輩と一緒に夜勤の実務をしたのだけれど、この研修も2回で終了。3回目の現場は僕独り。覚えることは山ほどあるけれど、あとは実地で覚えるしかないという状況。
もっとも、電車の制御器改修の時だって特殊車両の誘導の時だって、親切丁寧に教えてもらったことなんてないし、そもそもグラフィックデザインだって勤めていた写真スタジオで無茶振りされて独学で覚えたものだ。Macを使い始めたときだって、教えてくれる人はもとより日本語のガイドブックだってなかったんだ。大丈夫。なんとかなる。

そもそもデイサービスの夜勤って?
僕は不思議だった。
デイサービスというからには昼間のための施設だろうと。
どうして夜勤が必要なのだろうと。

デイサービスは昼間老人たちが集って、スタッフと一緒に体操をしたり歌を歌ったり、絵を描いたり散歩をしたりという施設であり、同時にそのサービスを指す。自力で施設に行く人もいれば送迎サービスを利用する人もいて、お昼ゴハンを一緒に食べたりもする。近所のお年寄りや大家さんの家族が利用していたので、そのくらいは知っていた。それではデイサービスの夜勤とは?

デイサービスにはショートステイというサービスがある。これは昼間施設を利用した人が、そのまま宿泊するというもの。夕飯を済ませた後、昼間のみの利用者は帰宅し、宿泊利用者はそのまま施設に泊まるのだ。

義理の祖母が入っていたのは老人ホームだったので、各自に個室が割り当てられ、入居者はそこで生活している。専門のスタッフに見守られながら、ホームで暮らすのだ。
一方、デイサービスのショートステイはあくまでも一時的な利用にとどまる。基本的には昼間のサービスなので、宿泊は一時的なものなのだ。
けれど改めて知人や友人に尋ねてみると、ショートステイの利用者はとても多い。僕が勤務している施設でも、ショートステイと言いながらもほぼ毎日宿泊しているレギュラーメンバーも少なくない。というか、ほとんどはレギュラーメンバーだ。

このショートステイのレギュラーメンバーは本当に様々で、自分で自由に歩ける人もいれば車いすが必要な人もいる。車いすとまではいかないまでも、歩行の際には手を繋いだり背中を支える必要がある人もいる。
トイレの介助が必要な人もいれば、自分で済ませる人もいる。オムツの人もいる。
認知症の人もいれば全く正常な人もいる。また認知症の状態も人によって様々だ。食事をしてもそれを忘れてしまう人。財布が無いと慌てる人。自分のベッドが分からなくなってしまう人。それから夜中に徘徊する人。

このようなお年寄りが多ければ10名以上宿泊している。
本来は宿泊施設ではないため、日中過ごしていたフロアにベッドを並べて全員で眠る。
消灯時間は決まっているのだけれど、それよりも先にベッドに入った人から「眩しいから電気を消して欲しい」と言われたり、早々と眠ってしまう人もいれば、おしゃべりを楽しんでいる人もいる。消灯時間の前にリモコンでテレビを消してしまう人もいる。
トイレの介助をしたりオムツを替えたり、この消灯前の時間は一つの山場でもある。

お年寄りの介助。
もちろん人によって様ざまではあるけれど、例えば歩行が困難であれば付き添うことが必要になるし、歩けなければ車椅子が必要だ。
食事やトイレも介助が必要になり、いずれはオムツのお世話になるかもしれない。片手でひょいと抱えられる乳児の場合とは異なり、お年寄りにオムツを装着したり交換したりすることは想像していたよりも難しい。
そして、いつか独りで立ち上がり、言葉を覚え、トイレで排泄することを覚え、どんどん自立していく子どもと違って、お年寄りは自立に向かっていくことはない。介助の必要度は上がることはあっても不要になることはない。

人によって状況、状態はさまざまだから一概には言えない。
けれど誰しも老いる。
老いは肉体の自由を奪う。記憶を途切れさせる。患う場合も多い。
そうした人たちが暮らしていくためには、誰かの助けが必要だ。
それでは誰がその役を担うのだろう。

「長生きしてほしい」
家族はそう願う。当然だ。
けれど日々の暮らしの中でお年寄りの介護をするのは難しい。
初めは小さな綻びかもしれない。
少しずつ自由に歩けなくなるかもしれない。
免疫力の低下、体力の低下で、病気に罹患しやすくなるかもしれない。
家族と同じ食事が食べられなくなるかもしれない。
トイレを失敗するかもしれない。
物忘れがひどくなるかもしれない。
自分や家族のことがわからなくなるかもしれない。

仕事や子育て、日々の暮らしの中に、お年寄りの介護が加わる。
そしてこれは彼、彼女が生きている間、延々と続く。本人が出来ないこと、介助が必要な事柄が増えていく。認知症が進行して徘徊するようになれば目を離すことさえ不可能になる。それを全て家族が担うのは、あまりにも酷だ。
自分の肉親とはいえ、いや、肉親だからこそ、弱っていく姿を目の当たりにし、日常生活で疲れた状態で介助をすることに疲弊したとして、それを責めることはできない。
「長生きしてほしい」と心から願えるためにも、老人の介護は家族以外の誰かに任せた方がいい。
僕はこの夜勤の仕事を始めてから、つくづくそう思うようになった。