老人介護施設で働いて思うこと 002

老人介護

老人介護施設で働きはじめたことは先日ポストした通りなのだけれど、何しろ介護の世界のことなんてまるで知らない…いや、知らなかったのだけれど、少しずつわかってきたことがあったりなかったり。
もちろん他の施設のことは知らない。僕が勤めている事業所のことだけが、ほんの少しだけわかってきたという程度の話だ。

まずは認知症について。
これは本当に人によって様々だ。
症状の進行具合も様々だけれど、何を覚えていて何を忘れてしまうのかも人によって異なる。そして厄介なのが妄想と徘徊。
何かしら現実に紐づけられた想像が膨らんでしまうケースと、どこからそんなことを思いつくのだろうと不思議になってしまうような妄想があるけれど、本人は至って真剣だ。
あるはずのない財布やバッグを探し続けることもあるし、家族が迎えに来てくれるから連絡をとってほしいと言ってみたり。ここの施設は自分の父の持ち物だったのに騙されて奪われたと言い出す人。自宅が放火されたと慌てる人。食事を済ませたばかりなのに、自分は食べていないと言い張る人。
徘徊もなかなかグッとくる。
ベッドからむくりと起き上がり、フラフラとフロアを歩き回る…だけならまだしも、トイレに行った人のベッドに入れ替わりに入って眠ってしまったり、倉庫で備品を引っ張り出して暴れてみたり、トイレでトイレットペーパーをくるくるカラカラと延々引きずり出して丸めてみたり。眠っている人の布団を剥いで怒鳴っている人もいたな。

歩行が困難な人も少なくない。
手を繋いでいればなんとかなる人もいれば、車いすが必要な人もいる。歩行器を使う人もいる。
そして歩行が困難な人は、とにかく目が離せない。そうでなくても老人は骨が弱っているから、転倒すると骨折する可能性が高いのだ。
問題は、歩行困難でしかも認知症の症状が進んでいる人がいるということ。自分が歩けないことが理解できないから、トイレにも自分で行こうとする。よろよろとベッドから立ち上がって歩こうとするのだけれど、はじめの一歩を踏み出そうとするだけで既によろけている。声をかけてくれればすぐに介助に行くのだけれど、自分でできると思っているから僕に介助を頼んだりはしないのだ。
そして恐ろしいことに、歩行が困難で認知症が進んでいる人が複数名いるのだ。
トイレを済ませた人を車いすからベッドに抱え上げているタイミングで、視界の隅では別の人がベッドから起きあがろうとしている。はじめの人を半ば力技で強引にベッドに引きずり上げて、ベッドから起き上がろうとしている人の元へ急ぐ。靴を履かせて片手を繋いで、もう片方の手は腰に添えて。そうやって体を支えながらトイレに入ったあたりで、またもや別の人がベッドにむくりと起き上がる…。そんな漫画みたいなシーンがたまにある。これは恐ろしい。本当に恐ろしい。
何しろ10名前後の老人たちを、たった一人で15時間見守るのだ。
そして認知症でない人は、この中で1名か2名しかいないのだ。

彼らを見ていて感じるのは、老化の進行に伴って自我が剥き出しになって行くのだということ。
それまで社会と向き合うために必要に迫られて身に纏っていた衣がどんどん剥がれていく。会社でスムースに仕事を進めるため。地域でのやりとりを円滑にするため。子どもに向けていた親の顔。会社の同僚や上司、部下に向けていた会社員の顔。そういった表向きの顔がどんどん剥がれ落ちていく。
そうして残るのは元々持っていた個人の性格だ。優しい人、意地悪な人、親切な人、我儘な人。仮面を外した彼らの剥き出しの自我と対峙するのがこの仕事なのだ。

認知症の進行度合いは人それぞれだと書いた。
とはいえ、概ね共通しているのが短期記憶の欠落だ。
例えば「今日の夕飯は美味しかったですか?」と尋ねても、認知症の人は覚えていないことが多い。食事の内容を覚えていないくらいならいい方だ。食べたことすら覚えていられない人も少なくない。そして食べたことを覚えていられない人が満腹中枢にトラブルを抱えている場合、際限なく食事を要求することになる。血液中の血糖値の上昇がうまく脳に伝わらないのか、他の人より余分に食べている日でも、残してしまった日でも、常に空腹を訴え続ける。そして「たった今、召し上がったばかりですよ」と伝えても、「そんなのは嘘だ。アタシはハングリーだ」と訴え、場合によっては泣き出す。地団駄を踏んで暴力を振るってくる。「じゃあアタシに死ねって言うのね」と叫ぶ。時にはキッチンに忍び込んで盗み食いをする。
本人に全く悪意はない。5分前に朝食を終えたばかりだとしても、彼女の中では本当に食事を摂る機会を奪われて、今まさに空腹に喘いでいるのだ。そして、目の前にある冷蔵庫には食料が入っているはずなのに、それを与えない僕こそが彼女にとっての悪なのだ。実際に胃袋が食べ物で満たされていようとも、彼女は空腹を感じていて、それは演技ではない。
キッチンのバターロールを一つ二つ余分に食べたところで特に問題はない。けれど三つ、四つと食べても治らず空腹を訴え続ける彼女にどう対応したものか。
パンを渡すのは簡単だ。20個食べようが30個食べようが僕の懐が痛むわけではない。「ハングリー、ハングリー」と念仏のように呟き続ける彼女を黙らせるには食べ物を渡すのが一番簡単だ。
けれど、本当にそれで良いのだろうか。際限なく食べ物を与えて黙らせた結果、この老人の消化器に何か深刻なトラブルが発生したりしないか。そんなことを考えると、空腹を訴える彼女を黙らせる目的で食べ物を渡すことを躊躇するのだ。

沸点が低いのも特徴だ。
前述した通り、対外的な装いが剥がれていく人は、他者に向かって感情の制御をしない。そのようなタイプの人は、理由はどうあれ自身の欲求が通らなければ猛烈に怒る。そして時に暴力を振るう。
老人が暴力を振るったところで高が知れていると思っていたけれど、実際に目の当たりにすると決してそんな生やさしいものではない。老婆が老婆を引っ叩いたところで大したものではないのだけれど、問題はそこではない。
老人は骨が弱い。特に女性は骨粗鬆症を患っているケースが多く、軽く転倒した程度でも骨折してしまうことがある。掴み合って揉み合っているうちに転倒してしまうのが怖いのだ。
そしてもう一つ。本当にまずいのはこっち。
足が不自由なので普段から杖をついている老人がいる。アルミ製の軽量で頑丈な杖だ。彼はイライラしてくると、壁や床をこの杖で叩く。思い切り力任せに叩くので、それはもうものすごい音がフロアに響き渡る。自治体の福祉課から貸与されている杖なので定期的に職員が検査に来るのだが、通常では考えられないような傷が多数あることから、次回も同様な状況であれば今後のレンタルは見合わせると釘を刺されたほどだ。そして、彼は他人に向かってこの杖を振り上げるのだ。
普段は温厚でニコニコしている彼だが、怒りのスイッチが入ってしまうと止まらなくなる。そしてそのスイッチは本当に些細なことで入ってしまうのだ。もちろんすぐに止めに入るのだけれど、万が一本当に杖で殴ってしまえば擦り傷ではすまない。幸いなことに老人なので僕が杖を握ってしまえば、それ以上振り上げることもできないが、目が届かないところで揉め事が起きることが恐ろしい。

次は徘徊。
僕の勤めている事業所では、徘徊するのは認知症が重度の人。
何しろ一晩中徘徊している。ベッドに入っていたはずが、気がつくと倉庫で備品を放り投げていたり、トイレットペーパーを大量に巻き取って、それを眠っている人に投げつけてみたり。トイレットペーパーを大量に流してトイレを詰まらせるのもこの人。なぜかズボンやパンツを脱いで下半身裸でうろつき回ることが多いのだが、そのままの格好で女性のベッドに入ろうとするからタチが悪い。そして大抵いつでも機嫌が悪い。失禁したズボンをトイレに捨ててきたりするし、わざわざ防水シーツを剥がしてベッドで漏らしたりする。早朝から小便まみれの下半身を絞ったタオルで清拭して布団カバーを漂泊したりしていると、実際のところうんざりするのも確かなのだ。けれど、うんざりする一方で彼にはとても興味がある。娘さんと暮らしているそうで、別のスタッフから聞くところによると、娘さん曰く「とても厳しいけれど、素敵な父」なのだそうだ。

深夜に下半身丸出しで徘徊し、トイレのクズカゴに放尿する。いつも機嫌が悪くて隙あらば女性のベッドに潜り込もうとする老人と「素敵な父親像」が僕の頭の中で上手く重ならないのだ。重ならないのだけれど、娘さんの中の「とても厳しいけれど、素敵な父」という姿は紛れもなく本当の姿であるはずだ。そして僕が目の当たりにしている半裸で徘徊を続ける彼の姿もまた事実なのだ。

表札をあしらった個室の老人ホームなどではない、デイサービスのショートステイというオプションを利用している老人たち。ショートステイとは名ばかりで、自宅には帰らずにずっとここで暮らしている人たちが何人もいる。
その理由もきっと様々で、僕はそのプライバシーを知りたいとは思わない。
ただ、ここでの仕事をすればするほど、自我が剥き出しになった痴呆老人の世話は、家族ではなく事業者に任せた方が良いと思うようになった。
家族はいいとこどりでいいのだ。
優しいおばあちゃん、格好いいおじいちゃんというイメージのまま週末の日中に会いに訪れて、心の底から「長生きして欲しいね」と思える方がいい。
夜の痴呆老人はなかなかシビれる。延々とトイレットペーパーと格闘し続けたり、半裸で徘徊したりする姿は、できれば家族は見ない方がいい。そんな彼らに付き添って安全に過ごせるように見守るのは、僕らが仕事として引き受ける。
今、僕は心からそう思っている。