海を離れる

日々

東京に戻ることを決めた。

経堂のマンションから引っ越してきたのが2006年の10月だから、まるまる18年。
元妻の喘息は酷くなる一方だったし、近所の公園に不審者は出没するし、こうやってずっと東京で暮らしていくのかとウンザリしていたのも確かだった。

それまでもバイクにまたがって海沿いを走ることも多かったから、長者ヶ先という地名くらいは知っていた。高校時代は学校をサボって小坪や鎌倉をうろうろしていたし、心のどこかで海辺で暮らしたいとは思っていた。たまたま訪れた知人宅は里山の高級住宅街で、帰りに立ち寄った横須賀の小さな漁村に一目惚れしてしまったのが運の尽き。逗子駅前の不動産屋に片端から電話をかけて見つけたのが今の借家だ。

海辺の集落での子育てはエキサイティングだった。幼稚園の送り迎えで毎日砂浜を歩く日々。帰宅すれば海に行きたがる倅。11月になっても波打ち際で遊ぶ倅を見ていたら、カナヅチを克服しなければいざという時に溺れた倅を助けられないと一念発起した。

独身時代、駒沢のアパートで暮らしていた頃に家族になった老犬は、こちらに移り住んだ時には既に視力を失っていたけれど、それでも水が大好きだったイヌは海岸の散歩を喜んだ。

幼稚園を卒園し、小学校、中学校と倅は成長していった。学校でも塾でも無理だと言われた高校に演劇部に入りたいという一心で挑み、初志貫徹してみせた。僕は倅の高校でPTAに参加し、部活の保護者会に参加し、沢山の思い出と知り合いができた。

夫婦の仲はいつの間にか酷いものになっていた。もっとも元妻の言葉を借りれば「あれはただの狩りだった」ということなので、恋愛から結婚に至った経緯は、ここでは割愛することにしよう。元妻は狩人で、僕はジビエだったというだけの話だ。

海辺で知り合った気の置けない友人たちとの語らいの時間は楽しかった。
東京の友人たちも時には独りで、時には家族を連れて我が家を訪れた。
イヌと一緒に海岸を散歩すれば、毎朝、毎夕、知り合いと顔を合わせた。
一人きりで始めたビーチクリーンは、18年経って一緒にゴミを拾ってくれる仲間ができた。
一人きりで楽しんでいた海岸での焚火は、友だちからリクエストされるようになった。
生き物の骨が好きで、いつか作ってみたかった骨格標本はミズナギドリの漂着死体でスタートした。
ウミガメの卵が孵化して子亀が海に帰る姿を肉眼で観察した。
漂着したハナゴンドウに抱きついた。
せせらぎのクレソンやミツバを摘み、防波堤のベンケイガニで出汁をとった。
東京から一緒に移り住んだイヌは彼岸を渡り、その後で家族に加わった二代目も旅立った。

今、一緒に暮らしている元野良犬には、僕の大好きな紙の銘柄から拝借して名前をつけた。
イヌは海が大好きで、勢いよく飛び込んでバシャバシャと泳ぐ。イヌ同士が仲良くなると、ヒトも仲良くなる。イヌを通じてできた沢山の友だちと食事をして酒を飲んで語らった。時には友だちのイヌを預かって、部屋で取っ組み合って遊ぶイヌたちを眺めながら酒を飲んだ。

そうそう。僕はサーファーになった。カナヅチだった僕は、誰もいない平日の海に浮かぶことが大好きになっていた。

元妻は家を出て独りで暮らし始めた。
僕は倅とイヌと海辺で暮らし続けた。
倅の弁当を作って、駅までの海岸線をクルマで走った。
イヌは4歳になった。

ここ数年、冬になると父か母のどちらかが体調を崩す。クリスマスや正月に片方が入院していることもあった。90歳近い老夫婦なワケだ。何事もない方が不自然なのだ。新卒で入社した企業に勤め続けている妹は、同じく勤めを全うした父とは話が合う。

逆に僕は昔から自分の家族とはどうも考え方が違っていて、父とは激しく言い争ってしまうことが多かった。できるだけ実家と両親に近づかないように生きてきたけれど、倅が生まれたことで状況が変わった。気分屋で乱暴だった父は「いいおじいちゃん」になっていた。毎週のように東京の祖父母宅で過ごす倅は、大学最後の一年間をこの海辺の集落ではなく東京のジジババと暮らした。

離れて暮らしているとよく分かる。父は何かを決定することが酷く苦手なのだ。誰かと会話をして交渉することがまるでできないのだ。愛想笑いで極端に譲歩するか、怒鳴って殴るか、あるいはモノを投げつけるか。それしかできないのだ。

母屋で暮らしている父の弟のこと。
亡くなって何年も経つ僕の祖父母の荷物。
いつの間にかガレージに溢れている様々なモノの山。
中途半端に紐で縛ったビニールは母屋と離れの間の雨よけらしい。
そうやって「とりあえず」なにかをして、そのまま放置するのだ。

実家の母屋の片付けを始めた。
指物師だった曾祖父が使っていた古い鉋。
ページをめくろうとするとペリペリと崩れる古い書物。
叔母さんの若い頃のお見合い写真。
沢山のゴルフクラブには錆が浮いている。
湿気で剥がれかけた壁紙と床に転がったネズミの糞。
玄関の引き戸はレールが曲がっていて力任せで開けるとギィーッと嫌な音をたてる。
上がり框には叔父さんの本が衣装ケースに入れられて山のように積まれている。

両親と妹が暮らすリフォーム済みの離れとは打って変わって、煤けた母屋は陰鬱な気分になる。
要らないものは次々と出てくるのに、日本画家だった祖母の絵は一枚も残っていない。
「生前に貰う約束だったって人たちがみんな持っていった」
交渉できない父らしい話だ。せめて複写して画集にでもしてやれば良かったと思ったけれど、後の祭りだ。
「この旗竿は捨てていいの?」「それは親爺が祝日に国旗を揚げていた旗竿だ。使ってないけど、俺が生きている間は捨てるな」
ここにあることさえ忘れていたのに、捨てることは拒否する。この家には、そういうものが沢山ある。行き場を失った思い出で溢れている。叔父さんのこと。母屋のこと。実家のこと。多分、ご先祖さまは僕が頼りなのだと思う。「オマエが何とかしてくれ」ということなのだと思う。そう思わなければやっていられない。

僕が手がけるグラフィックデザインの仕事はすっかり単価が下がった。コロナ禍を挟んで、取材+ライティングの仕事も価格崩壊だ。懐に空いた隙間から風がピューピューと吹き込んでくる。

せめてアパートでも借りてと思っても、巨大な電波塔が建った地元でイヌと暮らせる部屋なんて僕の経済状態ではとても借りられない。とにかくどうにかして懐が暖まるまでは、あの煤けた母屋の四畳半の荷物をかき分けて暮らすしかないのだ。

なんてコトをつらつらと書き綴っていると、どこからともなく「潜在意識が…」なんて声が聞こえてきそうな気がしてくる。
まだ幼稚園に入る前から、ぬいぐるみを作れば「女々しい」と殴られ、絵を描けば「河原乞食」と殴られ、本を読めば「ヤクザものだ」と殴られて育ったのだ。昨今流行の「自己肯定感」なんて育つわけがない。
母方の祖父からは「よくあの家で自暴自棄にならずに大人になるまで生き延びたな」と慰められた。いまさら「潜在意識」だの「自己肯定感」だのと言われても困る。
生き延びたんじゃない。中学時代に自分の部屋で、机に灯油をまいて火をつけたことがある。一瞬で机を覆った炎に恐れをなして、慌てて上着を被せて火を消したのだ。怖くて死ねなかっただけなのだ。

8月に離婚届を提出した。正確には元妻から送られてきた離婚届にサインをして送り返した。しばらくして妻が暮らす町から離婚届受理の通知が届いた。

子育てが終わった。あんなに楽しかった夢のような子育ての日々が終わった。芝居漬けで就職活動すらしていなかった倅は、慕っていた大学の学長に手を引かれて、そのまま大学の職員になった。

色々なことが終わって、僕は腑抜けになった。腑抜けに成り下がった。朝晩、イヌと浜に出る以外、仕事にかまけて部屋に閉じこもった。料理をすることも洗濯をすることも嫌になった。大好きだったはずの家事ができなくなった。

わかってるよ。こうやって書いたりすると潜在意識に刻んじゃうんだろ。でも、もう少しだけ。綴っていないと、もっと気持ちが落ちちゃうんだから仕方がない。

イヌだけがいつもそばにいた。「おなかがすいた」「そとにいきたい」「あそぼうよ、おとおさん」イヌが僕を現実につなぎ留めていた。

それで、だ。やりたいことは沢山残っている。アルバイトで関わった老人介護はとても興味深い体験だった。どうせならきちんと資格をとって、もっと主体的に関わってみたい。海辺の暮らしで知り合った沢山の生態学の研究者と、もっと話がしたい。彼らの話を誰かに伝えたい。チャンスがあれば彼らの話を書籍にしたい。ビーチクリーンだって続けたい。18年もゴミを拾い続けてきたのだ。海をキレイにする働きかけは東京からでも何かできるはずだ。結局ギターは弾けないままだけれど、楽器だって諦めていない。今はスティールパンが気になって仕方がない。立ち上げた政党とは袂を分かつことになったけれど、誰もが「生まれてきて良かった」と彼岸を渡る国にするためにどうしたら良いのか。それを考え続けることを諦めてはいない。自然農のグループとの縁だってある。自分で育てた米はやっぱり旨い。もう一度バイクで風を切りたい。チープな溶接機だけれど、こいつで古いバイクのレストアだってしたい。中途半端に準備して手つかずのシルクスクリーンだって始めたい。

なんだ。書き出してみれば、やりたいことだらけだ。できることは沢山ある。働くことも好きだ。デザインをすることも誰かの話を聞くことも文章を書くことも大好きだ。
残念なことに、お金を稼ぐことだけがどうにも苦手なだけなのだ。

さて10月だ。今月末には18年ぶりに東京暮らしが始まる。心残りなのはザブザブと泳ぐイヌの姿が見られなくなること。それからいつでも気軽に焚火ができなくなること。まあ、それと引き換えに神保町の古書店街が近くなって、マイヤーズとバカルディ以外のラムを買える酒屋に歩いて行けるようになる。ヨコスカにはいつでも帰って来られるよ。