取材してタイピングして文章を綴る。
相手が伝えたいこと。僕が伝えたいこと。そこには優先順位がある。
何を伝えたいのか。それを大切に文章を綴る。
一方で、取材相手が特に何も伝えるべきことを持たない時がある。
そんな時には、聞き取った内容を整理して僕が伝えたいことを綴る。
そうやって何かを伝えようとするアクションを通じて、相手に伝えたいことが生まれることがある。
手間はかかるけれど、この仕事をしていて楽しいと感じるのは、そんな時。
そして手こずるのは伝えたいことが無い相手に、結局それが芽生えなかった時。
伝えたいことが無い相手は、こちらが伝えたいことにも反応が薄い。あるいは反応が無い。
綴られた文章の大きな流れとそれを支えるリズム。そういう仕掛けにも興味を示さない。
逆に、伝えたい内容とは無関係の単語に執拗なこだわりをみせたりすることもある。
そして助詞や副助詞の重複などにも気づかない、あるいは抵抗がない。
そうやって、気持ちよく読めるようにと気遣っていた文章が平坦にならされていく。
結論という目的地までの道のりに、道ばたに花を植えたりベンチを置いたり木陰を作ったり、そんな楽しくなるような流れを作りたい。
ふと顔を上げたときに頬を撫でるそよ風だったり、視界の隅に舞う蝶の姿だったり、そんな風に心地よい文章を綴りたい。
それが理想。
それで、だ。
そんな風に理想的な文章を綴るばかりが仕事ではないことは重々承知しているのだ。
そんなことは分かっている。理解している。
世の中には伝えることが苦手な人もいる。
僕は伝えることを生業にしているけれど、自分自身が伝えることを得意としているかと問われれば自信を持って首を縦には振れない。拙い日本語を必死に綴っているのだ。
それでも。
それでも伝えることに手を抜くのは嫌なのだ。
伝えることは楽しい。
そして相手が投げてきたボールを受け止めて理解することも楽しい。
そのやりとりにこそ心が躍らされる。
けれど、そうではない人だっている。
当たり前だ。興味の対象なんて人それぞれだ。
クライアントの担当者から修正指示が届く。
難解な修正指示。
伝えようとする意思が希薄なメッセージ。
パズルを解くような推理をしながら冗長な文章を読み解く。
暇つぶしなら楽しいかもしれないけれど、仕事だと思うと額にしわが寄る。
千年後に詠まれるような和歌は綴れなくても、綺麗な文章にしたいと思いながらキーボードに指を添える夜です。

